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1 名前:オムコシ ★@\(^o^)/[ageteoff] 投稿日:2015/09/26(土) 10:16:33.68 ID:???*.net
リアルサウンド 9月24日 9時56分
NHKの連続テレビ小説(以下、朝ドラ)は、近年もっとも注目されているドラマ枠だ。
それだけに毎回、激しい賛否が巻き起こるのだが、今週最終回を向かえる『まれ』は、主に物語のわかりにくさと登場人物の一貫性のない行動が、
激しい批判にさらされた朝ドラだった。
しかし、『まれ』は本当に不出来な作品だったのだろうか?
そして何故、これほどまでに批判されたのか? 映像面と脚本面から総括してみたい。
『まれ』は、能登で暮らす夢嫌いの少女・津村希(土屋太鳳)が、パティシエ(菓子職人)を目指す物語だ。
物語は1994年からはじまり、2000年代を経て、2015年の現在に辿り着く。
『ごちそうさん』『花子とアン』、『マッサン』と戦前・戦中・戦後(昭和)という時代を描く物語が三作続いた朝ドラだが、
2013年の『あまちゃん』以来、久々に登場した現代が舞台の作品だ。
『まれ』で秀逸なのは、パソコンや携帯電話などといった00年代以降、誰もが安価で使えるようになったデジタル機器の描写である。
例えば、希の弟子である沢沙耶(飯豊まりえ)は、希が菓子を作る場面をスマートフォンで動画撮影する。
おそらくこの場面は、若い人ほど当たり前の行為として受けとめただろう。実際、こういう形で動画撮影を利用することは多い。
しかし少し前だったら、もっと異様なシーンとして映ったはずだ。
これはあくまで一例だが、こういったデジタル機器の扱いから見える現代の切り抜き方が実に秀逸なのだ。
これは劇中の映像にも強く反映されている。
『まれ』を見ていてもっとも驚いたのは小型カメラを駆使していると思われる映像だ。特にそれは室内のシーンにおいて発揮されており、ホームドラマではやり尽くされた食卓を家族が囲む場面も、
レイアウトに凝った躍動感のある映像となっている。
こういった斬新な映像はNHKドラマの伝統で、『あまちゃん』でもすでに試みられていたものだ。
しかし『あまちゃん』の映像が、斬新であるがゆえに作り手の意図を超えて、強い意味を持ちすぎていたのに対し、
『まれ』の映像は女子高生がスマホで撮影したような気軽さがあり、その気負いのなさが、より現代的に感じる。
つまり、かわいい女の子が最先端の映像で綺麗に撮られているという意味において優れたアイドルドラマだった。
というのが、『まれ』に対する最大の評価だ。
では、物語面ではどうだったのか?
朝ドラは、週6日×15分×6か月という長きにわたって放送されるために登場人物も多く描かれる要素も多岐にわたっているが、
ほとんどの作品は女の一生を描いたものとなっている。
『まれ』も幼少期からはじまり、学生時代、就職、恋愛、結婚、出産といった、
女性が人生で出会う様々な出来事が描かれている。
近年では様々な女性が登場しているが、朝ドラヒロインは基本的には明るくまじめな優等生だ。
希も「夢嫌い」と口では言いながらも、パティシエという夢に向かっていく。
ただ、希の行動は紆余曲折が激しく、公務員をやめてパティシエになったかと思ったら、
結婚相手の都合で仕事をやめて女将の修行をしたり、自分の店をはじめたかと思ったら、妊娠して産休に入ったりと、すべての行動が行き当たりばったりに見える。
また、本来丁寧に描くべき場面を省略してしまうので、一話だけ抜き出すと、実に中途半端な作品に感じてしまう。
これが脚本上の狙いなのか、力量不足による構成力の不備なのかが、
わからないため、多くの視聴者は序盤でイライラしてしまい、その印象が最後まで払拭できなかったことが『まれ』に対する批判の根底にあるのだろう。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150924-00010002-realsound-ent
*続く